きなこちゃんバリへ行く

旅と冒険が大好きなきなこちゃんが、バリ島へ行くおはなし。現実と虚構、あらゆる世界へ!

双子のピクニック

はじめてのバリから、そのあと。

きなこちゃんは、ずっとバリのことを考えていたわけではありませんでした。

 

同じ年の秋には宮古島へ旅をして、

次の年のはじめには、名古屋の劇団の公演に初めて参加するため、2ヵ月ほど東京を離れていました。

あ、言い忘れていましたが、きなこちゃんは役者でもあるのです。

仲間たちと自炊し、毎日安酒を飲んで雑魚寝しながら東京、大阪、名古屋を回る濃い濃い日々。

むしろバリのことはあまり思い出す暇がなかったくらい。

 

その間に、すっかりバリにとり憑かれてしまったのは、なんと黒蜜くんのほうでした。

ウブドの王宮で見た踊り、なかでもピンク色の衣装を着た少女の踊りに引き込まれ、「自分もこの踊りが踊りたい!」と思うようになっていたのです。

なるほど、王宮で見ていたときに様子がおかしかったわけですね。

 

そんな黒蜜くんの情熱は、すぐに形となって現れました。

名古屋の公演が終わった直後に予定されていた、きなこちゃんと、もう一人の相方ちゃんとによる二人芝居。

作・演出は黒蜜くんです。

 

タイトルは『双子のピクニック』。

北のヨーロッパと南の島に引き裂かれた双子の少女。

少女たちは、どちらでもあり、どちらでもない。

南の島では、ガムランの旋律を鼻歌で歌う。

バビ・グリン(豚の丸焼き)や数々のご馳走を用意して、王様の到着を待つ。

そして、チェックのワンピースを着た少女たちは、鏡合わせになって踊りを踊る。

 

最初に台本を読んだとき、きなこちゃんは思いました。

「黒蜜くんたら、本当にバリにやられちゃったんだなぁ」

「しかも、見ただけでまだやったこともないバリの踊りをお芝居のなかに取り入れるなんて、ハードル高すぎじゃない?」

 

現実の世界では、JALがバリ島への直行便を就航したばかりで、毎日のようにバリの女の子たちが踊るCMが流れていました。

この映像を録画して、何度も何度もコマ送りしながら、きなこちゃんと相方ちゃんは真似してみました。

きなこちゃんときたら、そもそも踊りと名のつくものを習ったこともなく、体を動かすことも苦手なのですから、それはそれは大変でした。

今から見たら笑っちゃうくらい、ロボットみたいにカクカクなダンス。

でも、バリの踊りって、どこか人間離れしている。

とくにピンクの衣装の少女の踊りはまるであやつり人形のようだった。

そう思うと、あながち間違った方向ではなかったのかもしれません。

ちょっと言い訳っぽいけれど。

そして、このとき使ったガムランの曲は、偶然にもその後お世話になるPeliatan(プリアタン)村の楽団のものだったのですが、そんなこと、まだ知るよしもありませんでした。

 

めちゃくちゃながらも踊ってしまったこの経験があったから。

今度はちゃんと本物の踊りを習おうと、きなこちゃんと黒蜜くんは決めたのです。

いやいや、決めたのはやっぱり黒蜜くん。

きなこちゃんは、自分には遠いできごとだと思っていました。

 

そう、まだ、このときは。

 

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はじめてのバリ

「そんなに沖縄が好きだったら、バリに行ってみなよ」

「沖縄が好きな人は、きっとバリにもハマると思うよ」

 

バリ?

バリ島?

 

名前を聞くまで、きなこちゃんはその島のことをほとんど知りませんでした。

なにせ、外国というものに行ったこともなかったのですから。

むしろ憧れはヨーロッパ。

パリになら行きたいと思っていたくらい。

 

さて、音楽家の友達は、バリのKuta(クタ)という海岸の近くで体験できるかなりディープな情報を教えてくれました。

いつも髪を切ってくれる美容師さんは、写真集を貸してくれましたっけ。

ほかの人からも、ほかのことも、次々と。

こんなにも勧められるんだから、きっと何かあるはず。

下調べもほとんどしないままバリ島に降り立ったのは、1993年のことでした。

 

夜。

空港に漂う甘い匂い、くらいくらい道のことは、前にも書いた通り。

タクシーに乗り、友達から聞いていたクタへ。

バリいちばんの観光地で、サーフィンをしにくる人がほとんど。外国人向けのレストランやバーもある。

そのどれにも興味はないけれど、ここに泊まることにしたのは、空港から近かったのと、観光客が多いぶん自力で予約できそうな安宿も多かったからです。

地球の歩き方』を見て予約した宿を目指して、灯りのない路地をひたすら進む。看板は見つかったものの、やっぱりまっくら。

奥へ進むとくらがりのなかに従業員がいたけれど、一生懸命英語で書いてFAXで送った予約はまったく通っていなかった。

「プールが改装中だから安くしますよ」って、返信来てたんだけどなぁ。

幸い部屋が空いていたので無事に泊まることができましたが、

今から思えば、こんなことはバリではよくあるできごとの一つでした。

 

泳げないから海にも入らず、海岸をぶらぶらして、ひたすら町を歩いて、安い食堂でインドネシアご飯とビンタンビールをかっくらう日々。

冒険し過ぎてちょっと大変な目にもあったけれど、そのおかげで、小手先の何かの力を頼るのではなく、自分そのままで、この島にもっと触れたいと、きなこちゃんは思ったのでした。

 

4日目の朝、Ubud(ウブド)という山のなかの村へ移動。

こちらの宿はもう少し上等で、ちゃんと予約が通っていました。

よかったね、きなこちゃん。

いや、当たり前でしょ。

2階建てで、半露天の場所にトイレとシャワーがあるコテージ。

部屋の壁に神様の像がたくさん飾ってあって、夜になるとちょっと怖かった。

昼間は、テラスのふちに座って煙草を吸いながら、うるさいくらいの緑を眺めていた。

 

このウブド村は踊りや音楽が盛んで、「芸術村」と呼ばれているところ。

観光客向けの公演も毎日のように行われていて、きなこちゃんも王宮の広場へ踊りを見にいきました。

初めて見たバリの踊り。

この踊りに一目惚れして、自分もやろうと決意した!

なんて、お約束のようなことはまったくなくて。

もちろん素敵だと思ったけれど、この踊りを自分がやるなんて夢にも考えませんでした。

あれ? 隣の黒蜜くんの様子がおかしいけど。

まぁ、いいや。

 

3日間滞在して、帰国の日。

きなこちゃんは、慣れない英語で宿の従業員と話をしました。

「この場所が好きで何回も来ている日本人の友達が何人もいる、みんなインドネシア語を勉強して手紙を書いて送ってくれたりしているんだよ」

ああ、自分も言葉を覚えて、この島の人たちともっと話してみたい。

踊りよりも、こっちの気持ちのほうが、きなこちゃんの中で沸々としてきていました。

 

初めての外国、初めてのバリ。

いろいろなことがあって、いろいろなものを見過ぎて。

体も心も容量が足りないよ。

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現実の南島 その2 沖縄の魔術的世界

きなこちゃんが次に向かった南の島は、沖縄。

東京から一気に、日本のいちばん南へ。

 

きっかけは、『パラダイスビュー』という映画でした。

その物語のなかで人々は、マブイ(魂)を落としたりする。

見ている自分も落としたような気になって、気だるくなっていく。

半分眠ったような目で見ていると、そこにある景色も、夢だか本当だかわからなくなる。

 

もちろん、これは映画だとわかっているけれど、こんな世界のかけらにでも触れられたら。

そんなわけで、またもや黒蜜くんとともに旅に出ることにしました。

 

時は1990年。

実はきなこちゃん、出発の前の晩に食べた貝にあたってしまい、夜中に病院へ運ばれたのです。

でも、朝にはすっかり元気になっていたので、えいやっ!と、飛行機に乗り込んだのでした。

午後に到着して青い海を見たのもつかの間、昨晩一睡もしていなかったせいで部屋でぐうぐう寝てしまい、気がついたらとっぷりと日が暮れていたのは、まぁご愛嬌ということで。

 

9月、折しも台風がやって来くる季節。

次の日から天気は悪くなり、いろいろな場所に出かけることはできませんでしたが、映画の撮影場所にもつかわれた本島西側の海岸は、曇天だったからこそ、あの妖しい空気の片鱗を見せてくれたように思えました。

 

その翌年から。

きなこちゃんと黒蜜くんの毎年の沖縄の旅がはじまりました。

本島、八重山宮古、いくつかの離島。たぶん合わせて10回以上は行ったでしょう。

 

いちばんお気に入りだったのは、竹富島

自転車で走っていると、島のおばあに知り合いと勘違いされて挨拶されたり。

民宿は昔ながらのつくりで、寝泊りした部屋にはそのおうちのご先祖様の仏壇があって。

畳の上で昼寝をしていると、遠くから三線の音が聞こえてくる。

島で暮らしている子供になったような気分でした。

 

久高島に行ったときのこと。

直前まで大嵐だったのに、島に着いたら不思議なくらい急に青空になり、帰りの船に乗ったとたん、また大雨ということもありました。

 

西表島では、敢えてツアーにのっからず、自力でカンビレーの滝までのトレッキングを計画。

ほかの人が港からお迎えの車に乗るなか、「タクシーを拾えばいいや」と甘く考えていた

きなこちゃんと黒蜜くんですが、タクシーなんか影も形もない。

途方にくれていたとき、頭上に見たこともない大きな鳥。

たぶん、カンムリワシでしょう。

そして、港の食堂の前に奇跡的に1台のタクシーが止まったのです。

中から出てきたのは、朝までお酒を飲んでいたと思われるおじい。

まだ飲む気なのか、ふらふらと食堂に入っていった。

おじいの降りたタクシーをすかさずつかまえ、なんとか仲間川の入り口まで行くことができたのでした。

このおじいは、きっとカンムリワシに導かれてやって来てくれた「酔っ払いの神様」だったのだと、きなこちゃんと黒蜜くんは今でも思っています。

 

宮古島の御嶽にうっかり入ってしまったとき。

怒られているような、刺すような気配に包まれて、急に頭が痛くなってしまったこともありました。

浜比嘉島で撮った写真には、無数の白い鳥のようなものたちが浮かんでいました。

 

不思議なことは、ほかにもいくつかあったけれど、沖縄だったらきっと普通にあるようなことなのかもしれません。

 

こんなふうに沖縄が大好きになり、足繁く通っていたきなこちゃん。

何人もの人から、なぜだか同じことを言われるようになったのです。

 

「そんなに沖縄が好きだったら、バリに行ってみなよ」

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宮古島

 

 

現実の南島 その1 八丈島廃墟ツアー

きなこちゃんが最初に訪れた南の島は、東京の南、八丈島でした。

 

「ん? なんだか、地味じゃない?」

「熱帯の密林とか言っていたくせに、国内だし」

「ヤシの木じゃなくてソテツって感じ」

 

そんな声が聞こえてきそうです。

おっしゃる通り。

でも、もちろん、これにはちゃんと理由があるのですよ。

 

八丈島といえば、よく知られているように、かつて罪人が島流しにされた流刑地

昭和の時代には南国リゾートとして人気だったとも聞きますが、やっぱりどこか、明るくない、湿った気配が感じられます。

それは日本だからなのかもしれません。

とりあえず、「暗黒好き」のきなこちゃんが行く初めての南国としては、うってつけの場所!

 

そして、旅の目的は、『異都発掘』(荒俣宏)という本に出てきた、「竜宮城」を見ること。

 

竜宮城とは、島のある奇特な老人が建てたという摩訶不思議な建造物。

赤鳥居がある洞窟のような入り口から中へ入ると、広いホール。

真ん中に人工池があり、八丈島ジオラマ

何のために建てられたかは、謎のまま。

老人が亡くなってからは、荒れ果てて、廃墟になり、取り壊される寸前だという。

 

これは行かなくては!

 

こうして、昭和の終わり頃、きなこちゃんは黒蜜くんと、おもちゃみたいなプロペラ機に乗り、この島に降り立ちました。

あ、まだ紹介していませんでしたね。

黒蜜くんは、きなこちゃんの旅の相棒です。

これからも時々登場するので、どうぞお見知りおきを。

 

まず、ホテルに荷物を置いて出かけると、ホテルの裏には鉄骨が打ち捨てられている。

公園には、誰にも使われていない錆びついたブランコやジャングルジム。

島の普通の風景が、すでに廃墟。

きなこちゃん、ぐんぐん鉄骨に、ジャングルジムに登る。

 

竜宮城も、本で読んだ通り。

それ以上のものは特になかったけれど、実際に訪れることができただけで、

きなこちゃんはじゅうぶん満足でした。

おそらく、訪れることができた旅人はほんの少しだったでしょう。

 

そもそも、どうして廃墟に惹かれるのだろう。

かつてそこに暮らしていた人たち、置かれていたものたちの息遣い、気配がそこには感じられるから。

その情景の残像のような、幻が見えるような気がするから。

 

話は少し脱線するのですが、きなこちゃんは以前、奈良の薬師寺に行ったことがありました。

ここには東塔と西塔があって、東塔は、天平時代に建てられたもの。

塔を見上げた瞬間、ぶわーっと風が吹いて、

その時代の気配、生きていた人たちの想いのようなものが渦巻いているようで。

そして、その人たちの姿まで見えたような気がしたのです。

自分が一瞬にして1200年くらい前の人たちとつながって、高速で時を駆け巡ったような不思議な気持ちで、なぜだか泣いてしまっていました。

古い建物には、そのようなものが堆積して眠っていて、そしてときどき、ちょっとした加減で立ち現れるのでしょう。

ちなみに、昭和になって再建されたという西塔からは、何も感じられませんでした。

 

ところで、2020年の現在、八丈島のリゾートホテルのいくつかは廃墟となり、そこを訪れる「廃墟ツアー」も一部で盛り上がっているらしい。

きなこちゃんが泊まったホテルも、もうそちら側の仲間入りをしているのかもしれませんね。

 

さてお話は、次の南の島へ。

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竜宮城

 

幻想の南洋

南の島。南国。

そして、もうひとつのすてきな言葉。

 

南洋。

 

戦争の時代によく使われていた言葉でもあるけれど、ここから連想するのは、

熱帯の密林に奇獣や吸血花なんかが蠢いていて、得体の知れないこの世ならぬものたちが跋扈しているような。

この極東の島国とはまったく違う異世界

 

昔過ぎてよく知らないのだけれど、南洋一郎という作家が『少年倶楽部』に書いていたという秘境冒険小説とか、映画『モスラ』のインファント島のイメージとかにも通じるものがあるのかも。

 

そんなふうに思っていたきなこちゃん。

今からざっと30年ほど前のことです。

ある日、心を掻き立てられる歌と出会いました。

それは、太田螢一のソロアルバム『人外大魔境』というやつです。

ここで描かれている妖しい南の島の風景は、まさにきなこちゃんが思い描くイメージに近いものでした。


太田螢一 – 太田螢一の人外大魔境 (FULL ALBUM)

 

ちなみに、太田螢一という人は、ゲルニカという音楽ユニットの歌詞・美術も手がけていました。

この歌詞もワクワクするのです。

“南海の悦楽と官能とが歌われる”音楽とともに。

 

かなた絶海 地球の終わる島

かなた絶海 時のない至福の土地

 

七つの海洋 遥かに越えて

降り注ぐ太陽 光線の里

珊瑚とりまく 原色の孤島

虹色の羽根の 蝶達は踊り

花々は唄い 蜜をこぼす

こがねの瞳の子供らは

 真珠をいだいて眠りに落ちる

 

かなた絶海 神々の楽天

かなた絶海 時のない至福の土地

 

                (ゲルニカ『絶海』より)

 

本当のその場所には、いったい何があるのだろう?

 

きなこちゃん、幻想の南洋から現実の南島へと向かうことになるのでした。


絶海

バリのくらやみ

そして時は2020。

全力疾走してきたよね。

 

これは、小沢くんの歌の歌詞。

 

たしかに、全力疾走してきたけれど、それはちょっとおいといて。

この歌の歌詞には、2020年とともに、25年前の「1995年」も出てくる。

それは、きなこちゃんが3回目にバリに行った年。

この年、初めてお寺のお祭りで踊ったりもしたのですが、その話も、またどこかで。

 

その頃からすると、まったく、バリの変わりぶりときたら!

カメラも身近になく、自分が写っている写真を見て驚き騒いでいたような人たちが、今やSNSとやらで毎日写真や動画を世界中に送っているのですから。

 

1995年頃のバリは、今とぜんぜん違っていました。

飛行機を降りたとたん、鼻をくすぐる甘い濃密なにおい。

これは、あとになって、お供えものの草花とお香の入り混じったにおいだと、きなこちゃんは知ったのですが。

空港から車に乗って、宿に向かう道。

とにかく、くらい。くらい。

くらくて、ときどきポツンとアセチレンランプのオレンジ色の明かりが見える。

そこに映し出される、道端に座っているバリの人。

男の人、たいていおじさん、けわしい目で一瞬こっちを見る。

それが、びゅんびゅんと通り去っていく。

 

宿に着いても、まだ、くらい。

足元が見えなくて、心もとない。

でも、空には、降ってくるくらいの星。

 

そう、きなこちゃんが最初にいちばんひかれたのは

この、くらやみでした。

 

南の島がすき。南国がすき。

でも、たいていの人が持っているような明るいイメージなんて、最初からなかったのです。

バリは、きなこちゃんの思い描いていた暗い南の島らしく、そこにありました。

 

そう、くらやみといえば、小沢くんの今の言葉。

 

この暗がりを抜けた先で、落ち合いたい。

 

2020年の今、まったく別の暗がりがある。

世界中に広がるこの暗がりを抜け出して、またあの島へ。

 

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きなこちゃんの物語、はじまる

これは

南の島 バリ島へ行く きなこちゃんの物語です。

 

きなこちゃんは、これまで数えきれないほどバリに行ってきました。

20回目くらいまでは数えていましたが、そのあとはめんどくさくなって数えていません。

でも、まぁ、数なんてどうでもいいのです。

 

きなこちゃんは、知らないこと、新しいことを知るのが大好きです。

友達と遊ぶより、自分の頭の中でいろいろな空想をしているのが楽しいと思っています。

おとなしいし、動きもとてものろいのですが、なにかを知りたい! やりたい!と思ったら、何も考えずにすぐにそこへ向かって突進していきます。

 

あ。

これを書いているわたしの話をしておきましょう。

わたしは、きなこちゃんをいちばんよく知っている人、だと思います。

 

おとなになったわたしは、人見知りのきなこちゃんに比べたら、知らない人と上手につきあうことができるようになりました。

でも、おとなになったぶん、何かをする前に考えたり、迷ってしまうようになりました。

 

東京の生活のなかでは息を潜めているきなこちゃんですが、バリに行くと、にわかに存在感を発揮します。

3歳の頃のように。

恥ずかしくてものかげから周囲をうかがっているけれど、思い立ったら大胆に飛び込んでいきます。

ほんのすこしでも、バリの空気をからだに入れたいから。

使い慣れている日本の言葉や、うわっつらのおとなの言葉で取り繕うことができないから、気持ちで、思いで、魂のようなもので、知りたいこと、やりたいことにぶつかっていきます。

それは、なに?

踊りと音楽。

バリの踊りと音楽。

バリの踊りと音楽!!

 

これは、そんなきなこちゃんが見てきた、見ている、これから見るバリのお話です。

さあ、物語の旅のはじまりです。

 

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